進捗状況

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  「言っておくケドねぇ、オレはげてないから!」
 のっけからTGさんにかみつかれた。
「オレは、顔が長いだけなの!!」。 なんじゃそりゃ?
「ホラ、こうやって皺が出来るところまでが顔なんだって」
 一生懸命おでこに皺を寄せている。うーん。 形勢不利と感じてか話題を変えるTGさん。
 「そ、それはそうと記念館、ちっとも建設進んでねえよな?!」。 みんなうなづく。
 同じ時期に始まったロープウエイ駅舎は着々と出来ているのに。完成は2007年春だが、そもそも工期が長すぎないか。工事が進まないのも展示物がないからではないか? いろいろ想像してしまう。着工してしまえば文句が言えない、と考えて、無理して着工したようにも思えてならない。
 記念館がどうしても必要な理由はなんだろう。
 記念館もTGさんの頭の立ち枯れもこれ以上進まないでほしいと願うばかりだ。

 

記念館予測

  記念館の必要性はほんとによくわからない。
 有識者による委員会に、まちづくりについて質問状を出して5ヶ月以上たったのに、いまだに答えが返ってこない。市民の代表じゃなかったの?
 小説を大きく引き延ばしてパネルにしたり、地図やらレプリカやらで スペースを埋めるつもりだろうが、だったら小説読むよ。 話もさんざん聞いたし。
 行政が「市民の活動の拠点」と説明するのも気になる。展示物がないから「活動拠点」にするつもりやろか。ってことは初代記念館館長はまちづくりコーディネーターのオジサンか?
 今、まちづくりには2つの動きがあると思う。 この小説を思想的に利用しようとする確信的な動き。それとは別に、まちづくりを舞台にボランティアとかNPOによる「市民活動」を活発化させたい行政の動き。その2つが無意識に距離をとって存在するように思える。
 「市民活動」自体否定しないが、そこには「これからは行政を頼らず 自分たちのことは自分たちで、地域のことは地域で」という行政の意志が働いている。
 どっちも「新自由主義」ってやつなんやろな。

 

市長の講演会

  愛大での市長の講演会へ行く。
 ここでも「夢や目標を持つすばらしさ」だ。
 フリーターやニートみたいにその日さえ楽しければいい、と いうのはアカンのだそうだ。
 待てよ。去年ジャパハリを呼んだ 「まちづくりライブ」では、自分の夢や好きなことを追求する若者を前に「やりたいことをやっている人は輝いている」と賞賛したんじゃなかったっけ?
 あの子らは、自分では生活費を稼げず、親の経済力に頼っていると語っていた。いわゆる「その日さえ楽しければいいというフリーターやニート」ではないの?
 話しかける人によって言うこと変えたらあかんで。
 それにしても一緒に配られた資料の中に「桜チャンネル」の広告やら 扶桑社の教科書をすすめる人の講演会のチラシやら、市長サン、いよいよ あっちのほうに片足を突っ込んじゃったなぁ、ってカンジだ。

 

忍者TG

妄想対決

  「この街ってさぁ、焼け野原になった後、良くも悪くも都市計画してこなかったから、 江戸時代の地図が今の地図にぴったり重なるんだって!」
 へぇ、おもろいやん。さすが物知りTG。
 「だからさ、行き止まりが多いのよ。城下町らしいだろ? 行き止まりにはお庭番がいてさ・・・」
 始まった、始まった。TGさんの話を感心して聞けるのは最初の部分だけだ。 みんなあきれていると
「なんだよ!オレ、嘘言ってねえよ!」と逆ギレ。
「なんでアナタってそういうマンガ的な話し方するのかなぁ、って・・・」とナオさんは仕方なさそうに笑っている。