市のホームページに、市長宛にメールで要望を
伝えるコーナーがある。
そこで大学生がサカクモまちづくりについて、
「市民が主体のまちづくり、と市長は言うが、 市長が市民に求める姿はどのようなものですか? 明確なビジョンを示し導くことを強く要求します」
と載っていた。
「奴隷根性」という言葉が思い浮かんだ。
自分たちが「主体」であるなら、「あるべき姿を示せ」 というのは矛盾している。
そのことを大学生にもなってわからないのだろうか。
とはいっても私だって大学生だったら、彼と同じ質問を したかもしれない。
でも少なくとも私が学生の時は、行政や社会と近づく 機会がなかった。
学校は「聖域」だった。
今はとても無防備に学校や学生が行政に近づきすぎていると思う。
「強制はしない」と説明する「悪意のない」行政に、
自発的に参加する「善意ある」人たち。
疑うことは悪いこと、みたいな空気にならないだろうか。