見た目が9割

  父が肺炎のおそれがあるとして、かかりつけ医の 紹介の病院へ受診へ行った。
  はじめて行ったその病院は、郊外の住宅街の中にあった。
 外観からしてどーもなー、と気が滅入った。
 診察室に入ると、アタマの軽そうなニイチャンが、 父の様子を見ることも、ワタシから日常の様子を聞くでもなく、「ハイ、入院!」と言った。
「え?そんな準備してませんよ」というと、
「じゃあ、検査」
 とりあえず父の胸に聴診器を当て胸の音を聴く。父はおびえて、
「イタイイタイ」と大声を出した。
 すると化粧だけやたら濃いおばあさんの看護婦2人が
「ハイ、黙ってね」と父の口を自分の手で塞いだ。
 医者と看護婦の見た目もフツウじゃないけど、今時こんなやり方って、アリ?
 一瞬信じられなくて、 あわてて父のそばにいてあげようとしたら、
「検査は一緒にいなくていいです。放射線浴びますし。 用があったら呼びますから」
 おいおい、どんな検査すんねん。
「検査なら、おとといしましたよ」と私が言うと
「今のデータが知りたいのです!」と怒鳴るニイチャン。
 まぁ、仕方ないので医者の言うとおりに検査を受けた。
 ずいぶん時間がかかるなぁ、と思ったら 脳のCT、肺のレントゲン、腹部のCT、血液検査……と、ひととおりやっていた。
 幸い、このときの検査の結果では特に大きな問題はなかったので、 医療的な処置は断ることができた。ニイチャンは、
「肺炎は高齢者の死因の2位ですからね」
 と大まじめに言う。 そして誤えん性肺炎を防ぐために胃ろうやューブ栄養の話をした。
 父はまだ口から食べられる。口から食べられるうちは そうさせてあげたい、と言うと、
「では、もし万が一なにかあっても、ご家族のご希望ということで」
 と念を押してくるので、
「そちらに過失のない限りは了解しました」と言っておいた。
 待合室で会計を待っていると、ニイチャンのそばにいたもう一人の男が駆け寄ってきて耳打ちした。
「あの、わたくし、こちらの病院の事務局長です。 あの、先ほど先生がご説明があったように・・・」
 と また責任の念押しを言葉丁寧に言ってきた。
「ですから過失がなければ責任は問いません」
 とピシャリと言ったら、 ビビったのか、迎えの車が来るまで見送ってくれた。
 そんな手口にダマされるかいってのっ!!
 「見た目が9割」という、身も蓋もない本があるが、 まぁ、確かに・・、と思える病院だった。

 

寺子屋

  儒学者中江藤樹の出身地である滋賀県近江高島市で、子ども達に「寺子屋」で「論語」を教えているところをテレビが紹介していた。
 姿勢を正したおじさんが 「子、曰く・・・」と腹の底から声を出すのに対し、ぽかんとした子どもの顔が印象的だった。

 

父の入院

  父の体調が悪い。
  7月はじめから発熱。いったんおさまったが、 誤えん性肺炎の疑い。
「肺炎を悪くするのをわかっていながら、 これ以上口から食事を摂らせることはできない」と施設に言われる。
 医師3名、看護士3名、施設職員2名がずらりとならんで、私ら家族2人と話し合うことに。胃に穴をあける「胃ろう」をすすめられる。これだけの人数を集めないとたった2人の家族を説得できないのか。
 以前、W病院で検査を受けた際、万一の時の責任の所在について耳打ちしてきた男の医師も同席している。
 しらじらしく、さも深刻そうな表情をつくって、
「あのときは本当は入院すべきだったのに」
 と関係のないところで発言して、自分の存在感を誇示しようとする。
 いるよ、あんたみたいなヤツ。
 本人はまだ口から食べる意欲もあるんだから、なんとかこのまま補助栄養などで補えないか、という希望を伝えたが、
「悪くなるのを放っておけない」
「職員の立場を守りたい」
 そりゃわかるけど、「職員の立場」ってなによ。 そっちだって商売でやってるのだから、命に責任を持ってもらうのは当然やん。
 若い看護婦までしたり顔で胃ろうをすすめるものだから、 私はとうとう、
「生涯、口から食べられなくなることを、 自分に置き換えて考えてみてください」
 と怒ってしまった。
 点滴よりは負担が軽いというが、胃ろうに変わる他の方法はないのだろうか。なにかしてくれ、と言ってるのではない。なにもしないでくれることのほうが難しい。
 医療相談員のアーリーにメールで相談する。
 「胃ろうは在宅介護では一般的で他の方法より負担は軽い」とのこと。そーかー。
じゃあグループホームをやってるAさんならどう考えるだろう。電話をかけてみる。
「口から食べられなくなったときが その命のおわるとき」という個人的な意見をいただき、 「とにかく、お父さんの様子を見に、 たくさん行ってあげたら」となぐさめてもらう。
 3日間の仕事の休みを利用し、施設に通う。
 手術の前に、ひと口でも多く口から食べさせてあげたい。そう思ったが、やはりむせる。介助する方としても、こんなにもエネルギーがいるものか、 とあきらめたくなってしまう。
 持参した好物のうなぎもほとんど手つかず。半分くらい食べたら、「痛い、痛い」と声をだし横になりたがる。
 疲れる。気が重い。 胃ろうは仕方ないかもしれない。
 Aさんの言うとおり、毎日通って父の様子をよく観察してみたら、否定的だった胃ろうに対し、仕方ないかも、と、受け入れる気持ちになってきた。施設も私も十分やってきたのではないかと思えてきた。(つづく)

 

父の入院2

  7月末、K病院に入院。病院に連れてこられた父の表情は思いのほか明るかった。
 散髪し、ヒゲもきれいに剃ってもらい、清潔な服装に整えられた父の姿を見て、施設の職員さんがどれだけ大切にしてくれていたかがわかる。入院の荷物も要領よくまとめられていた。
 食事介助用のエプロンやスプーンも入っている。絶食になるのがわかっていながら、これらを入れてくれたのは、「口から食べさせたい」という家族の気持を 理解してくれたからかもしれない。
 しかし父は病室に案内された途端、不安そうな表情になり、「痛い、痛い」を連発。職員さんに横にさせてもらうがおさまる気配なし。
 午後、担当医に呼び出される。動脈瘤と胃ろうする場所が重なり、危険なため手術でいない、とのこと。代わりの方法が、経鼻胃管(鼻チューブ)だという。
 せっかく覚悟したのに、いいんだか悪いんだか。
 施設で受け入れしてくれるか確認するためタクシーで向かい、 職員とX病院の医師に相談する。 「メンテナンスの面からも、ここの施設ではもう限界だろう」と医療施設へ移ることをすすめられる。鼻チューブの必要性を聞くと、個人的な意見と断り、
「まだ本人に意識も生きる気力もあるのだから、 やってみた方がいいのでは」
 胃ろうの処置後、再び受け入れるつもりで送り出してくれた施設職員さんが、申し訳なさそうな表情で唖然としている。その表情を見て、ああ、もう十分やってもらったな、と いう気持ちになった。できることなら戻りたいのだけど。
 父は病気になってから 「管につながれてまで生きながらえたくない」と言い、「延命拒否」と紙に書いていた。私は父に胃ろうの手術について、 「ちょっとだけお腹から栄養入れようね。 良くなったら施設に帰って、体力が付けば おうちにも帰ろう」と説明した。「管につなぐな」という父の意思に逆らい、 ごまかし、希望まで持たせる言い方をしてしまった。
 在宅でない限り、施設や医師の指示に従うしかない。
 鼻チューブになった時、そのしんどさに 父は耐えられるだろうか。 生きる気力を失ってしまわないだろうか。
 翌日、病室のベッドをのぞくと、父がクシャクシャの笑顔で迎えてくれた。笑顔は父の体調のバロメーターだ。
「どう?調子は」
「もう大丈夫や。帰る」と起きあがろうとする。この調子の良さ……。
 そこへ担当医が来た。
「肺炎の炎症がだいぶ治まりました。顔色がいいのは水分が十分取れたからでしょう」
 入院してたった1日で良くなっているのを見ると、父にとって医療の必要性を考えさせられる。
 前日実家に、父の同級生がふらりと立ち寄ってくれた ことを伝えると「友達いうんはありがたいなぁ」とはっきりした口調で言った。私が帰ろうとすると
「一緒に帰ろう」と起きあがろうとする。
「おとうさんはまだ安静だよ。まだ点滴中やん」と 説明する。
「ああ、そうか」としょんぼりしている。せつない。
「明日はお母さんが来てくれるよ」と言うと
「ややこしいなぁ」と言う。
 わたしに対する気遣いだろうか。
「お母さん、来ていらん?」
「うん、来ていらん」
「私は?」
「いる」
「お母さんとわたし、どっちが好き?」
 照れて寝返りをうってしまった。 こんなおだやかな時間が救いだ。
 入院5日目。 肺炎の炎症はすっかり治まった。
 肺炎は典型的な「誤燕性」のものではなく、抵抗力が落ちたときにかかる症状だったそうだ。
 「誤燕性」と「細菌性」のどれほどの差があるのかわからないけど、「むせ」が原因でないなら、胃ろうの必要性はなかったのでは、と疑問が残る。
 胃ろうに頼りすぎてないだろうか。
 担当医は鼻チューブに代わる方法として、もう一度燕下訓練をしながら経過を見よう、と 言ってくれた。
 なんとか施設にもどれないものか。