普通の人

  国会で福島みずほは小泉サンのことを 「コイズミさん」という。
  「総理」と言わない。
 彼女は「弱者切り捨て」とも、もう言わない。
 「普通の人」が、もうどうにもならないと言う世の中 になった、と言う。
 その通りだと思う。
  「格差」「弱者」に置き換わる言葉が必要だと思った。

 

普通の国

  コイズミさんは「格差」について、 「世界に比べて日本は格差がまだ少ない方」と言った。
 どんな「世界」と比べてなのか。
 議員のオジサンが「格差のない社会はただ馴れ合いの社会となり、 怠け者を生む」とコイズミさんを持ち上げた。
 平等を目指すことは怠け者を生むことなのだろうか。
 デンマークに行ったときに知り合った、 知的障害者のハンスという男性のことを思い出す。
 彼はみんなでクルージングに出かける日、雨が降るのを予想して何枚も何枚もジャンパーを着込んでやってきた。そして雨が降りだすと、一枚ずつ脱いでいって、傘のないひとに貸してあげていた。
 ポケットにキャンディを つめこんで、子どもを見れば声を掛けてあげていた。
 デンマーク人は優しいけど、時間や所有物など、公私の区別はとても厳しかった。
 大人になっても優しい気持ちが持ち続けられる社会。競争ではなく平等を目指した結果だと思う。

 

デジタル痩身疑惑横幅15%カット

  「デジタル痩身疑惑横幅15%カット」
  ある日の週刊誌の見出し。
 お、これはイケるね。
 日記行きじゃ。

 

象牙の塔デビュー

  「で、弁護士事務所のバイトはどうなりましたか?」
 Qセンセイは会うなり聞いてきた。
「いやぁ、ダメだったですよ。だいいち、あんなオヤジの下で働くことになんなくてよかったですよ」
 と捨て鉢に言った。Qセンセイはそんな私を気の毒に思ったのか、
「ああ、そうだ。レイザル新聞をわたしのHPにリンクしても よろしいでしょうか」
「あ、はぁ。それは私はまったく構わないのですが・・・・」
 大学人であるQセンセイのHPのリンク集には、 「学会」だの「研究会」だの、おカタイリンクがならぶ。どう考えても「レイザル新聞」はその場所に似つかわしくない。
 どこにカテゴライズするのかなぁ、「学会」かなあ、なんて不安と期待を感じていると、数日後、新たに「番外」欄が作られ、そこにリンクされていた。