21世紀に生きる君たちへ vs. 太陽の子

  子どもの自殺やいじめが問題になっていることの影響か、10年くらい前に出版された司馬遼太郎の「21世紀に生きる君たちへ」という本が今再び売れているらしい。
もっとも、新聞の広告欄に載っていたので、「売れている」のか、「売ろうとしてる」のかわからないけど。
 人からもらったのがウチにあるので読み返してみたけど、自然に畏敬の念を持とう、みたいなことや、晴れ上がった空のように高々とここをを持とう みたいな、特にありがたがるほどのことは書かれていない。
 他の民族へのいたわりの気持ちを持とう、ってところはイケてるけどな。

 灰谷健次郎が死んだ。
「太陽の子」と「兎の目」しか読んだことないけど、 私の好きだった頃の神戸が、作品に生き生きとよみがえる。
「ふうちゃん」のお父さんがなくなってしまうシーンは何度読んでも涙が出てしまう。
キヨシ君やギッチョンチョンのぶっきらぼうな優しさも大好きだ。
 こうやってみると、司馬さんと灰谷さんの作品は正反対の性質のように思える。
「志を高く持とう」みたいな歴史小説より、傷ついた人たちの優しさをえがいた小説の方が、仮にフィクションであっても、私には真実に近い気がする。

 

タウンMの意外な影響?

  Nさんの講演会。一応司会を引き受けた。
ひととおり話が終わって、
「なにか質問がある人」とふっても、
シーーーン。
このよそよそしさはなんなんだ!と、思ってハッとした。
みんな「タウンミーティング」じゃないけど、
発言することで自分が「サクラ」だと思われないか
警戒してるんとちゃうか?
うう、イヤな世の中だ。

 

オトコの「けじめ」の値段

  アベ心臓クンが「タウンミーティング」のやらせ問題で、
首相報酬から100万円返納して責任を取るんだと。
「お金で解決するのは美しくない」
 という野党のツメの甘い質問に対し、
「そういう言い方は失礼だ」
 と心臓クンはムキになって怒っていた。
 やりとりとしてはどっちもどっちってカンジだが、
心臓クンの「失礼」とは片腹痛し。
  100万円みたいなはした金(ボンボンの心臓クンにとって)で
責任を取とうってほうが失礼だっちゅーの。
 誇り高きサムライ精神にのっとり、「切腹」とまで言わないまでも、
「辞職」くらいせめて口に出してみろっての!
そもそもお金の問題ではなく、
世論を誘導したことが問われなければアカンのちゃう?

 

タウンミーティング小咄

  「世論誘導」と言われるのがイタイのだろう。
「タウンミーティングはそもそも国民の意見を聞く場ではなく、広報の場だ」
 と、参詣新聞はいいはじめた。
 自治体の審議会でもそうだけど、
「市民の意見を聞きました」というアリバイづくりってことはなんとなく感じてた。
  うすうす知ってて許してた責任は自分にある。
 ホンマ、うかうかしてられへんワ。

  タウンミーティングのやらせ問題で、
議員がお金を返納して責任をとったとばかり取り上げられるが、
お金をもらって呼ばれたヒトの責任はどうよ?
きっとフツーの校長先生かなんかで、
個人的にはいい人だったりするんだろうけど、
やっぱり公表されるべきだと思う。
「うっかり」ですまされない問題なのだ。